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なぜ自分と向き合うのが難しいのか?急いで結果を求めてしまう訳

Thinking Body

ハスヨガマガジンの「ヨガの練習で耳にする「自分と向き合う」方法は?具体策3つ」で、自分と向き合おうとする過程で気負いが余計な力みを生んでいるとお話しました。
ヨガのトレーニングに限らず、日常生活や仕事のあらゆる場面で「〜しよう」という意欲が空回りすることなんて珍しくないでしょう。
ではなぜ、空回りが起こってしまうのでしょうか?
私たちが日常的に結果に急いでいる理由について考えてみたいと思います。

ヨガマットの上で行っていること、感じていること

ヨガのプラクティスである特定のポーズをしようと思ったとき、あるいはもっと遡ってヨガマットに立ったとき、皆さんはどんなことをしているでしょうか?
姿勢を正そうとしたり、これから行おうとしているポーズのアライメントを頭の中でおさらいしたりしているのでしょうか?

人によっては、他の場所から歩いてきてヨガマットの上に立つと引き締まる気分になるという感覚や「今日も頑張ろう」といった意欲がわくかもしれませんね。
このように自分の気持ちを高め、これから行うポーズについて注意を払うのはもちろん素晴らしいことです。

意欲が義務感や責任感に取って代わる

ところで「今日は太陽礼拝を20回やるぞ」「戦士のポーズ1をしたいんだけど、足のアライメントはこう、股関節の向きはこう」などと考えているうち、太陽礼拝をやり切ることやそのポーズの完成形を追うことに夢中になりすぎてはいないでしょうか?

「〜したい」と夢中になりすぎるあまり、「やらなくては」「ねばならぬ」という義務感や責任感として、私たちの身体を縛りつけてしまうことがあります。
ヨガマットの上に立つと引き締まる気分になることさえ、日常と自分を切り離さなくてはという無意識の義務感や責任感に取って代わられている可能性があるんです。

義務感や責任感が結果を急がせてしまう

義務感や責任感で進めてしまうと、進行を妨げそうな問題点だけに集中してしまうものです。
問題点を何とかしよう、それさえクリアできれば…という焦りを伴います。
そのような思考のとき、私たちの身体は頭を脊椎の方へ引っ込めた緊張状態になってしまいがち。
そして、集中している問題が解決したというわかりやすい結果によって、達成感や安心感を得られます。
つまり緊張状態から解放への振りの幅が大きく、その分の満足感が大きいのです。

急いで達成した目的は本当にやりたかったことなのか

戻って、「太陽礼拝を20回やるぞ」「戦士のポーズ1をしよう」と思ったときに願っていたことと、20回行ったことや理想的なポーズをとれたことはイコールですか?
多くの人がこれに対して「No」だと思います。

例えば、太陽礼拝を何回もやりたかったのは、デスクワーク続きで思い切り身体を動かし、固まっていた身体を解放したかったから。
ある特定のポーズをしようと思った裏には、そのポーズをすることでストレッチできる筋肉や鍛えられる筋肉があったり、呼吸が深くなったりという効果を期待したから。

太陽礼拝をやり切ることやポーズの完成形を目指すこととは別だったのかもしれません。

おわりに

このように、私たちはもともとの願っていたことからいつの間にか逸脱してしまうものなのです。
自分と向き合って願いを追求するなら、えてしてすり替わりがちな「やらなくては」「ねばならぬ」を止めて、「〜したい」を思い出す必要がありそうですね。

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