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「見る」とはどういう行為か?ものの見方と身体の使い方の関係について考える

Thinking Body

ヨガでは、ポーズをとっているときの視線の先を「ドリシティ(dristi)」と呼んで、一点に定めることで集中を促す場面が多々ありますよね。
そこで、「見る」という行為について考えてみました。
何かを見るときにどのように見ているのか、身体の中では何が起こっているのかといったことに着目して、ものの見方について考察します。

見るという行為について

棚にビンなどが並んでいる写真で考えていきましょう。
まずは右上のAのビンを見てください。
次に左下のBのビンを見てください。
さて、AからBに視点を移す際にどのように視点を移しているのでしょう。

自分が行っている「見る」を思い返してみると、筆者は「対象が明確に認識できること」といつの間にか定義付けをしていて、明確に見えている対象以外のものは意識していませんでした。
対象だけを注視していたのです。

注視して、視点を点から点で切り替える

対象だけを注視していると、AをからいきなりBというように、見えているものは点と点になります。
視界は点に集中してしまい、視野が狭くなります。
AとB以外の周りはあまり意識に入っていないものと思われます。
そして、そんなときはたいてい、目に力が入って、首の後ろが固まっているものです。

一点を注視しているときに起こっていること

対象を点で捉えるような、ひとつのものに注視しているとき、身体では頭を胴体の方へ引っ込めるということが起こっています。
眼球を動かす筋肉は頭蓋骨と頸椎の境目である環椎後頭関節(AOジョイント、トップジョイントなどと呼ばれます)のすぐ近くに付着しています。
「ちゃんと見よう」として目に力が入るということは、眼球を動かす筋肉を収縮させることになり、そこから連動的に環椎後頭関節周辺の筋肉までも収縮させることになります。
それに準じて、首全体の筋肉が収縮して頭を胴体へ引っ込める状態になるのです。
そして、その状態は首全体の可動域が制限されていることでもあります。

そうすると、離れたところに視点を移動するためにそちらへ顔を向ける際にわずかながらも無理を強いることになります。
写真の中ならまだしも、部屋の中や外の景色など、より広い世界で視点を移動する場合には障害となるかもしれません。

注視するのをやめて、視点を線として移動させる

では、Aを明確に認識しようとするのをやめて、いつもよりぼんやり見るという程度にしたら、どうなるでしょうか。
Aの周囲にあるものが意識に入ってきたり、次に見ようと思っているBの存在に何となくでも気付けたりすることでしょう。

次にAの少し左の試験管が並んでいる辺り、その左下のロングパスタ、さらに左のビン、そしてBというように、見えるものを少しずつずらしながら視点を移動させてみてください。
視点を線として移動させて、AからBまでの道筋を意識的にしてみるのです。
そうすると、眼球や首の後ろの固さが和らぎ、スムーズに見ることができると思います。

おわりに

「ちゃんと見る」のをやめると眼球を動かす筋肉に入っていた余計な力がなくなり、環椎後頭関節周辺や首全体の筋肉の緊張も解けた状態となります。
視界も自然と開けてくるはず。
対象だけではなく、周囲も目に入れつつ、視点を線として移動させることが行いやすくなるでしょう。
目が疲れやすい人は、自分が普段、どのように見るという行為をしているのかを観察してみるといいかもしれませんね。

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