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グラウンディングについて考える④「フラフラしてもいい」の背景にあるもの

Thinking Body

ヨガでポーズをとっているときに「フラフラしてもいい」とインストラクターに言われることがあります。
そこには、そのときの自分にフォーカスするという考え方やインストラクターの優しさが込められているのでしょう。
でも、自分の身体をいかに固めずに使うかという視点から考えると、もっと深い理由があるように思えます。
そこでこの記事では、筆者の体験を基にグラウンディングのやり方としての「フラフラする」について考察します。

「フラフラしてもいい」は失敗してもいいということ?

ヨガを始めた頃のことですが、レッスンを受けていたインストラクターに「フラフラしても大丈夫」とよく声を掛けられていました。
当時はそれを「失敗してよろけてもいい」という意味で受け取っていました。
例えば、ヴルクシャーサナ(木のポーズ)で片足立ちになったとき、バランスが保てずにふらついても、それはそれで受け入れるといったことです。

「失敗してもいい」の裏側

しかしながら、ポーズでふらついたとしてもそれを受け入れると考えた裏側には、ふらつかずに微動だにしないことが理想という思いがあったようです。
だから、「フラフラしてもいい」という許可のはずが、筆者の中ではいつの間にか、「今日もできなかった」という後悔や「次こそはうまくやらねば」という義務感にすり替わっていました。
そして、脚でなんとか安定感を得ようとして、脚や足裏に余計な力を入れていたのです。

身体を固めずに使うならフラフラして当然

「必要なときに必要な分の力を使って身体を動かす」ということを学び、実践するようになった今、身体は基本的にフラフラしているものだと思っています。
なぜなら、私たちの身体には無数の関節があり、それらが連動して動き続けるものだから。
たとえ立ったまま一歩も動かなかったとしても、呼吸をするたびに胸や背中がわずかながらも上下し、それに準じて腰やお尻、腕、脚、足裏、そして頭までもが繊細に動いているものなのです。

安定=動かないではない

安定感を得ることやグラウンディングを動かないことだと思うと、途端に身体に余計な力が入り、頭、胴体、腕、脚が連動して動くことの邪魔をします。

そこで、フラフラしたとしても、それに合わせて身体の他の部分が連動して動いて、勝手にバランスをとってくれると考えてみるのはどうでしょう。
片足で立っていて、思いも寄らぬ方向にふらついても、全身の関節の自由度があれば、それに合わせて足首、膝、股関節が動いてくれるものです。
あるいは、頭や胴体、腕がふらつくのとは反対の方向にバランスをとってくれるかもしれません。
勝手に動いてくれることを許すのです。

おわりに

木は風に吹かれても倒れません。
しっかり根を張っているからというのもありますが、どの方向から風が吹いても枝が揺れて風圧をやり過ごすことができるからというのもあると思います。
ヨガのグラウンディングにおいて「フラフラしてもいい」は、失敗してもいいというだけではなく、身体を必要以上に固めずに、自由に連動して動くことを許可する言葉なのかもしれません。

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